12月例会 有馬温泉癒しの森

実施日 2016年12月18日

<コース概要>
【 山登りA班 】
有馬温泉駅8:10 → 8:12太閤像 → 8:14ねね像 → 8:20温泉寺 → 8:24炭酸泉源 → 8:30かんぽの宿8:35 → 8:37魚屋道登山口8:41 → 9:33筆屋道分岐 → 10:10瑞宝寺公園10:18 → 10:33かんぽの宿

【 温泉街散策B班 】
有馬温泉駅8:10 → 8:13太閤像 → 8:16ねね像 → 8:24温泉寺 → 8:30湯泉神社 → 8:34極楽寺 → 8:40炭酸泉源 → 8:47林渓寺 → 8:55天神社 → 9:05金の湯付近散策 → 9:28太閤の湯殿館9:40 → 9:50かんぽの宿

<コース紹介>
12月の例会は、忘年ハイクと忘年会を兼ねて有馬温泉で開催しました。
山登りA班は有馬温泉癒しの森を周回し、温泉街散策B班は有馬温泉街を散策した後、忘年会場の『かんぽの宿』にA班とB班が合流して、金泉で疲れを癒してから忘年会です。

コースは、A班を赤の矢印、B班を青の矢印で色分けして、左下のマップに示してあります。(写真01a)
太閤の湯殿館は9時開館なので、B班のみがコースの最後に訪れています。

有馬温泉癒しの森の詳細コースは、別途右下のマップに示してあります。(写真01b)
左下のマップは有馬温泉癒しの森を上にしているので進行方向と合致して分かりやすいですが、右下のマップは北を上にしているので、180°向きが異なります。

今回は会員外1名を含み、A班が17名、B班が15名、男女構成としては女性13名、男性19名の計32名が参加しました。

説明の便宜上、A班とB班のコースを織り交ぜて、散策路に沿って紹介します。

【 下のそれぞれの写真は クリックすると2段階拡大表示されます 】

01a 忘年ハイクコース 01b 有馬温泉癒しの森
( 01a 忘年ハイクコース ) ( 01b 有馬温泉癒しの森 )

有馬温泉駅から、有馬川に架かる太閤橋に面している湯けむり広場に移動し、山登りA班から先に出発しました。
(写真02a)

湯けむり広場には、有馬川の上流を向いて、太閤像が座しています。(写真02b)

02a 湯けむり広場を出発 02b 湯けむり広場の太閤像
( 02a 湯けむり広場を出発 ) ( 02b 湯けむり広場の太閤像 )

有馬川沿いに太閤通りを少し上がると、赤い『ねね橋』が見えます。(写真03a)
橋のたもとには、有馬川の下流を振り向いている『ねね』の像が立っています。(写真03b)
『ねね』の像と太閤像は、有馬川を挟んで、向き合っているような感じに見えます。

03a ねね橋へ渡る 03b ねね橋とねねの像
( 03a ねね橋へ渡る ) ( 03b ねね橋とねねの像 )

ねね橋から太閤通りをさらに上がり、『若狭屋』という土産物屋で左に曲がると、『金の湯』が見えてきます。(写真04a)

『金の湯』の奥で右の路地に入って坂を上がりかけると、右手に『御所泉源』があります。(写真04b)
『御所泉源』は塩分濃度が日本一で、ここから『御所の坊』や『花小宿』などの旅館に金泉を送っています。

04a 金の湯を通過 04b 御所泉源
( 04a 金の湯を通過 ) ( 04b 御所泉源 )

『御所泉源』から、ちょっとした坂を登り切った所に、温泉寺の鐘楼があります。(写真05a)
この鐘楼は、阪神大震災で土台の石垣が崩れ、瓦がずれる被害を受けましたが、震災から14年後に修復されています。

鐘楼から左に曲がると、温泉寺(おんせんじ)の本堂が見えます。(写真05b)
温泉寺は薬師如来の導きで有馬を訪れた僧の行基が建立し、戦国時代の火災で全山消失した後は、豊臣秀吉の正室の北政所によって再建されています。

05a 温泉寺の鐘楼 05b 温泉寺
( 05a 温泉寺の鐘楼 ) ( 05b 温泉寺 )

温泉寺の右手には、『温泉守護神』と明示された鳥居があり、その鳥居をくぐって階段を上った先に湯泉神社(とうせんじんじゃ)があります。(写真06a) (写真06b)
湯泉神社の歴史は古く、飛鳥時代の天皇の参拝が日本書記に記録されているようです。

06a 湯泉神社に向かう 06b 湯泉神社
( 06a 湯泉神社に向かう ) ( 06b 湯泉神社 )

温泉寺の背後には、太閤の湯殿館に隣接して、極楽寺があります。(写真07a)
極楽寺は聖徳太子の開基と伝えられていて、鎌倉時代の再興時には法然上人が説法を行う念仏道場として栄えたようです。

温泉寺の左手には、寺を建立した行基の像が散策路に面して立っています。(写真07b)

07a 極楽寺 07b 行基菩薩立像
( 07a 極楽寺 ) ( 07b 行基菩薩立像 )

行基の像から散策路を少し進むと、念仏寺と観音像が目につきます。(写真08a)

念仏寺は、太閤秀吉が正室の北政所(ねね)のために建てた別邸跡と云われています。

観音像の右手には、若き日の法然が正座をして念仏を唱えている像があります。(写真08b)
少年像の頭をさわると知恵が授かるということで、多くの人に頭を撫でられたせいか、頭部は磨かれたようにツルツルになっていました。

08a 念仏寺 08b 法然上人の少年像
( 08a 念仏寺 ) ( 08b 法然上人の少年像 )

念仏寺から銀の湯の前を通って『ねがい坂』を上がると、炭酸泉源に続いている『タンサン坂』になります。(写真09a)

坂の先は炭酸泉源公園になっていて、公園の奥に屋根付きの柱で囲まれた炭酸泉源があります。(写真09b)
昔は炭酸泉に砂糖を入れてサイダーとして飲まれていたそうで、有馬名物の炭酸せんべいの名前の由来にもなっています。

09a タンサン坂 09b 炭酸泉源
( 09a タンサン坂 ) ( 09b 炭酸泉源 )

山登りA班は、炭酸泉源広場から『こぶし道』経由で、『有馬温泉癒しの森』の登山口に向かいます。(写真10a)

登山口の手前には、地獄谷という地名で炭酸ガスが噴き出ていた名残りを示す『炭酸地獄』という石碑があります。(写真10b)

10a 炭酸泉源広場 10b 炭酸地獄石碑
( 10a 炭酸泉源広場 ) ( 10b 炭酸地獄石碑 )

近くには『鳥地獄』や『虫地獄』という石碑もあり、噴き出した炭酸ガスで鳥や虫が死んだ所であることが想像されます。(写真11a) (写真11b)

11a 鳥地獄石碑 11b 虫地獄石碑
( 11a 鳥地獄石碑 ) ( 11b 虫地獄石碑 )

六甲ハイキング魚屋道コースの入り口が、『有馬温泉癒しの森』の登山口になっていて、その前で柔軟体操を行います。(写真12a)

登山口を登り始めると、六甲山頂まで約3,7kmであることを示す道標が立っています。(写真12b)

12a 登山口で柔軟体操 12b 六甲山頂への標識
( 12a 登山口で柔軟体操 ) ( 12b 六甲山頂への標識 )

海側で獲れた魚介類を有馬へ運ぶための道であることから、魚屋道(ととやみち)と呼ばれている登山道を、落ち葉を踏みながら登って行きます。(写真13a)

登山口から40分ほど登ると、『有馬温泉癒しの森』と表示された案内板が見えてきます。(写真13b)
手前には『六甲最高峰2.4km』と矢印で表示された標柱が立っており、魚屋道の別称として ( 太陽と緑の道 ) と併記されています。

13a 魚屋道を登る 13b 太陽と緑の道
( 13a 魚屋道を登る ) ( 13b 太陽と緑の道 )

さらに5~6分登ると、ルートマップに目印として記載されている法華経の『石仏』の前を通過します。(写真14a)

石仏の先には展望休憩所があり、そこで水分補給の休憩を取ります。(写真14b)
休憩所には、魚屋道とかつての峠の茶屋の説明板が掲示されています。
展望デッキに立つと、有馬三山のうちの湯槽谷山が近くに見えます。

14a 石仏前を通過 14b 展望休憩所に到着
( 14a 石仏前を通過 ) ( 14b 展望休憩所に到着 )

展望休憩所から8分ほど魚屋道を登ると、筆屋道への分岐があります。(写真15a)

筆屋道は瑞宝寺公園に至るまで下り坂が続きますが、台風で倒れた木々が数年放置された状態で、登山道はあまり整備されていません。(写真15b)

15a 筆屋道への分岐 15b 筆屋道を下る
( 15a 筆屋道への分岐 ) ( 15b 筆屋道を下る )

筆屋道は瑞宝寺谷という谷筋に入って行くので、陽光は木々に遮られ、日陰の道端には前日の雪が残っていました。(写真16a)

途中の道標を確認すると、魚屋道まで0.6km、瑞宝寺公園まで0.7kmで、筆屋道の道程は1.3kmであることが分かります。(写真16b)
癒しの森散策道全体として歩く距離は、3.1kmです。

16a 雪の名残り 16b 瑞宝寺公園への標識
( 16a 雪の名残り ) ( 16b 瑞宝寺公園への標識 )

筆屋道は展望台を経由するルートと、六甲川沿いに下るルートがあります。
今回は、『 谷道 』 と表示されているルートを下って行きます。(写真17a)
10分少々下ると六甲川に至り、石を伝って渓流を渡ります。(写真17b)

17a 谷道を下る 17b 六甲川を渡る
( 17a 谷道を下る ) ( 17b 六甲川を渡る )

六甲川沿いに瑞宝寺公園の近くまで下って水音で後ろを振り返ると、太鼓滝が見えます。(写真18a)
太鼓滝から数分の瑞宝寺公園までは、六甲川の河原を進んで行きます。(写真18b)

18a 六甲川の太鼓滝 18b 瑞宝寺公園へ向かう
( 18a 六甲川の太鼓滝 ) ( 18b 瑞宝寺公園へ向かう )

瑞宝寺公園は、『 いくら見ていても飽きない 』 と太閤秀吉が誉め称えたことから、『 日暮らしの庭 』 と呼ばれたと説明板にあります。(写真19a)
廃寺に残されている山門は、京都の伏見城から移築されたものです。(写真19b)

19a 瑞宝寺公園の標識 19b 瑞宝寺の山門
( 19a 瑞宝寺公園の標識 ) ( 19b 瑞宝寺の山門 )

山登りA班が癒しの森を周回している間に、温泉街散策B班は炭酸泉源から湯本坂を下って林渓寺の方へ散策しています。
湯本坂の入口からは、林渓寺の山門は奥まった所に見えます。(写真20a)

林渓寺は、江戸時代は東本願寺の別院で湯山御坊と呼ばれていて、境内には樹齢200年以上の紅梅があります。(写真20b)
蕾のうちから紅いことから『 未開紅 』 と名付けられていて、この実を食べると子宝に恵まれることから 『 はらみの梅 』 とも云われているようです。

20a 林渓寺の入り口 20b 林渓寺の境内
( 20a 林渓寺の入り口 ) ( 20b 林渓寺の境内 )

湯本坂を下って、昔懐かしい赤いポストを右に曲がると、坂の上に天神社の石の鳥居が見えます。(写真21a)

天神社は京都の北野天神の分社で、境内には白い湯煙を上げている天神泉源があります。(写真21b)

21a 天神社へ向かう 21b 天神泉源
( 21a 天神社へ向かう ) ( 21b 天神泉源 )

温泉街散策B班は、天神社から土産物屋が立ち並ぶ湯本坂を下り、再び御所泉源や温泉寺の横を通って、極楽寺の隣りの太閤の湯殿館へ回ります。(写真22a)

太閤の湯殿館は、阪神大震災で壊れた極楽寺の庫裏下から、400年前に秀吉が造らせた湯山御殿の湯ぶねや庭園の遺構が発見され、出土品ととともに秀吉が愛した有馬温泉の歴史を紹介している資料館です。

資料館の入口には、有馬の歴史年表とともに、有馬の三恩人 ( 行基、仁西、秀吉 ) の功績が紹介されています。(写真22b)

22a 太閤の湯殿館 22b 有馬の歴史説明
( 22a 太閤の湯殿館 ) ( 22b 有馬の歴史説明 )

湯山御殿は徳川方によって取り壊されて、その跡地に極楽寺と念仏寺が建てられていますが、阪神大震災後の発掘調査によって、太閤の湯殿跡として元禄時代後の石組み遺構と、その石組みの下から本物の湯殿遺構が見つかったとのことです。(写真23a) (写真23b)

23a 湯山御殿の説明 23b 湯山御殿の発掘写真
( 23a 湯山御殿の説明 ) ( 23b 湯山御殿の発掘写真 )

400年の時へ経て、阪神大震災で発見されるまでは 『 幻の湯山御殿 』 であったものが、秀吉や千利休、黒田官兵衛などが浸かったかも知れない岩風呂遺構などが、現実のものとして出土した状態で展示されています。(写真24a) (写真24b)

発掘場所の極楽寺の裏手には有馬7泉源の一つの極楽泉源があり、そこから湯山御殿に金泉を引いていた様です。

24a 岩風呂遺構の説明 24b 岩風呂遺構
( 24a 岩風呂遺構の説明 ) ( 24b 岩風呂遺構 )

温泉街散策B班は9時50分頃、山登りA班は10時半過ぎに、忘年会場のかんぽの宿に到着しました。(写真25a)

かんぽの宿の六甲山からの下山口側には、『 汗、流せますよ!!天然温泉(金泉) 』 という看板が掲げられています。(写真25b)
入浴だけでもOKなので、昼前後の大浴場は若い登山客でにぎわいます。

25a かんぽの宿に到着 25b 天然温泉・金泉
( 25a かんぽの宿に到着 ) ( 25b 天然温泉・金泉 )

今年を締めくくる例会は、有馬の金泉でゆっくり疲れを癒した後、盛大な忘年会で楽しく過ごすことができました。


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