7月例会 高野山

登山日 2016年7月3日

<コース概要>
九度山駅9:45 → 10:00真田庵 → 10:20慈尊院10:30 → 丹生官省符神社10:35 → 11:10展望台11:25 → 12:30 六本杉12:40 → 13:20二つ鳥居展望台13:50 → 14:00神田地蔵堂 → 14:50笠木峠 → 15:40矢立15:45 →16:30紀伊細川駅

<コース紹介>
神戸ツキワ登山会の7月の例会は、和歌山県の九度山町と高野町にまたがる世界遺産の古道の町石道 ( ちょういしみち ) を歩きました。

コース概要は、上記の通り南海高野線の九度山駅を出発して、戦国武将の真田親子ゆかりの真田庵から世界遺産の慈尊院を経て、丹生官省符神社から町石道に入り、矢立から町石道を抜けて紀伊細川駅に至るルートです。(写真01a)

今回は町石道の前半のルートを歩き、来年は町石道の後半のルートを歩く計画です。(写真01a)

今回は会員外の10名を含め、女性20名、男性15名の計35名が参加しました。

九度山は、関ヶ原の戦いの後に真田昌幸・幸村親子が蟄居生活を送った地で、駅舎には六文銭をあしらった真田軍旗が掲げられています。(写真01b)

毎年5月には総勢500名の武者行列が町内を練り歩く真田まつりもあり、NHK大河ドラマの影響による観光客増もあって、町内のあちこちに、深紅の六文銭の旗や提灯が飾り付けられています。

【 下のそれぞれの写真は クリックすると2段階拡大表示されます 】

01a 高野山町石道マップ 01b 九度山駅
( 01a 高野山町石道マップ ) ( 01b 九度山駅 )

九度山駅から町内の 『 真田のみち 』 を通って10分ほど進むと、『 真田の抜け穴 』 という表示板が目につきます。(写真02a)

囲いの中には、地中のトンネルの入り口らしきものがあります。(写真02b)

古墳時代の横穴式古墳ですが、『 真田幸村が徳川方の監視の目をかすめて大阪城へ入城するために長いトンネルを作った 』 という伝説で、『 真田古墳 』 と名付けられているようです。

02a 真田の抜け穴説明板 02b 真田の抜け穴
( 02a 真田の抜け穴説明板 ) ( 02b 真田の抜け穴 )

真田古墳から数分進むと、武家屋敷風の塀の中に、六文銭の赤い旗が沢山たなびいているのが見えます。(写真03a)
真田昌幸・幸村親子の屋敷跡に建てられた真田庵 ( 善名称院というお寺 ) です。

真田庵の門や屋根瓦にも六文銭があり、『 眞田庵 』 と表示された門をくぐって、真田軍旗の間を通っていきます。(写真03b)

真田庵は、毎年春にはボタンが咲き乱れ、真田祭りでは武者行列のゴール地点としてにぎわっているそうです。

03a 真田庵の六文銭の幟 03b 真田庵の境内
( 03a 真田庵の六文銭の幟 ) ( 03b 真田庵の境内 )

真田庵を出て紀の川のほとりに下り、高野山から流れて紀の川に合流している丹生川を渡ります。

丹生橋の上からは、丹生川の先で右から左に流れる紀の川の向こうに、大阪と和歌山を隔てている和泉山脈の山々が見えます。(写真04a)

丹生橋から10分ほど紀の川の南岸を西へ進むと、朱塗りの慈尊院橋にさしかかります。(写真04b)
そこから慈尊院の山門までは、1分ほどです。

04a 丹生川と紀の川 04b 朱塗りの慈尊院橋
( 04a 丹生川と紀の川 ) ( 04b 朱塗りの慈尊院橋 )

慈尊院入口の階段を10数段登って、山門をくぐります。(写真05a)

山門を抜けると、正面に朱塗りの多宝塔があります。(写真05b)

05a 慈尊院の山門 05b 慈尊院の多宝塔
( 05a 慈尊院の山門 ) ( 05b 慈尊院の多宝塔 )

多宝塔の左手に本堂があり、その脇に世界遺産記念碑があります。(写真06a)
慈尊院は、『 紀伊山地の霊場と参拝道 』 として世界遺産に登録されており、その旨が石碑の下部に日本語と英語で表示されています。

慈尊院の本堂の東側は庭園になっていて、蓮形の噴水の周りの庭木が綺麗に手入れされています。(写真06b)
噴水の右手奥に見えているのが、弘法大師像です。

四国から会いに来た弘法大師の母が、女人禁制だった高野山に行くことができなかったため、弘法大師が月に九度の頻度で 『 町石道 』 を歩いて母に会いに来られた場所が慈尊院であり、その一帯が九度山という地名になった由来のようです。

06a 世界遺産記念石碑 06b 慈尊院の庭園
( 06a 世界遺産記念石碑 ) ( 06b 慈尊院の庭園 )

町石道に向かうため、丹生官省符神社への階段を上がります。(写真07a)

階段下の左手には、『 弘法大師創建の社高野山町石道登山口 』 と表示されている丹生官省符神社の標柱が立っています。

町石道には1町 ( 約109m ) おきに180本の町石があり、その最初のポイントである180番目の町石が、階段の途中の鳥居の右手に見えています。(写真07b)

07a 丹生官省符神社の階段 07b 鳥居手前の最初の町石
( 07a 丹生官省符神社の階段 ) ( 07b 鳥居手前の最初の町石 )

119段の階段を登り切ると赤い鳥居があり、その下に茅の輪くぐりの輪が設けられています。(写真08a)

鳥居横の説明板には、『 病気にならず悪いことにも会わない 』 ので、この輪をくぐってお参りくださいという趣旨が書かれています。

鳥居の奥には丹生官省符神社の拝殿があり、その右手奥が町石道への入り口になっています。(写真08b)

08a 丹生官省符神社の鳥居 08b 丹生官省符神社の拝殿
( 08a 丹生官省符神社の鳥居 ) ( 08b 丹生官省符神社の拝殿 )

町石道は 『 高野参拝道 』 として国の史跡に指定されていて、世界遺産の一部にもなっています。

道は整備されていて、道しるべとして216本の道石が立っているので、道に迷うことはなさそうです。
町石の頭部は卒塔婆(そとば)という仏塔の形をしていて、識別し易くなっています。(写真09a)

それぞれの町石に番号が付けられているので、起点の慈尊院から番号1番の町石がある根本大塔までの22kmの道中で、おおよそ どの辺りにいるのかが分かります。(写真09b)

09a 町石道の町石 09b 百七十二町の町石
( 09a 町石道の町石 ) ( 09b 百七十二町の町石 )

慈尊院から40分ほどかけて、15本目の166番の町石まで登ると、展望台があります。(写真10a)

そこでの休憩で、先輩が内緒で担いできた冷たいスイカが、暑さで疲れている会員を励ますためにサプライズとして振るまわれ、会員外の方々にも大変喜ばれました。(写真10b)

10a 町石道の展望台 10b 展望台でスイカ休憩
( 10a 町石道の展望台 ) ( 10b 展望台でスイカ休憩 )

展望台からの眺めは、良好です。
展望台にある説明写真と照合しながら見渡すと、左手には紀の川の北側に和泉山脈の東端の岩湧山と三石山、その右に金剛山地主峰の金剛山が見えます。(写真11a)

右手には、紀の川の南側に高見山や国城山(くにぎさん) が見えます。(写真11b)

11a 展望台から左手の眺め 11b 展望台から右手の眺め
( 11a 展望台から左手の眺め ) ( 11b 展望台から右手の眺め )

展望台から10分少々登ると、雨引山の山頂付近が見えてきます。(写真12a)
九度山町内から見上げた場合は、雨引山と電波塔が良く目立ち、町石道の方角を示す目印となります。

雨引山の山頂への分岐の手前には、銭壺石という750年前の伝説の石が残されています。(写真12b)

銭壺石の左手の説明板によると、当時20年の歳月を掛けて町石道を整備する際、この石の上に置いた壺に給金を入れ、作業員につかみ取りをさせて与えたとのことです。
銭壺は上部がくびれているので、大きな手の者でも小さな手の者でも、つかめる銭の量は大差なかったとか・・・

12a 雨引山の山頂付近 12b 銭壺石の説明版と石
( 12a 雨引山の山頂付近 ) ( 12b 銭壺石の説明版と石 )

銭壺石から40分ほど登ると、六本杉という広場に出ます。(写真13a)
今回の町石道前半ルートで登りがきついのはここまでで、ここから先はほぼ平坦な道か、なだらかなアップ・ダウンになります。

六本杉にある説明板によると、当初の卒塔婆(町石)は平安時代に建てられた木製で、1266年頃から20年を費やして現在の石造になったとあります。(写真13b)

13a 六本杉の表示板 13b 町石道の説明版
( 13a 六本杉の表示板 ) ( 13b 町石道の説明版 )

六本杉から30分ほどで、南海高野線の上古沢駅への分岐がある古峠を通過します。(写真14a)
下見の時は、ここまでが町石道前半コースで、ここからは上古沢駅へ下りましたが、例会ルートとしては少々危険を伴い不適切であると判断し、例会当日は矢立まで足を延ばして紀伊細川駅に至るルートに変更しています。

古峠から10分ほどで、昼食休憩場所である二つ鳥居手前の展望台に到着しました。(写真14b)

14a 上古沢駅への分岐 14b 二つ鳥居近くの展望台
( 14a 上古沢駅への分岐 ) ( 14b 二つ鳥居近くの展望台 )

展望台からは、町石道西側の天野の里が見えます。(写真15a)

説明板には『 歴史の里 』 天野と表示されており、世界遺産の丹生都比売神社、西行法師像や妻娘の塚がある西行堂、和歌に歌われた悲恋伝説のある横笛の恋塚などの位置が、マップに示されています。(写真15b)

15a 展望台からの眺め 15b 歴史の里 天野
( 15a 展望台からの眺め ) ( 15b 歴史の里 天野 )

展望台の隣には、町石道沿いに石の鳥居が二つ並んだ 『 二つ鳥居 』 が立っています。(写真16a)
819年に弘法大師が建立した当時は木製であったものが、1649年に今の石造りになったようです。 (写真16b)

16a 二つ鳥居 16b 二つ鳥居の説明版
( 16a 二つ鳥居 ) ( 16b 二つ鳥居の説明版 )

二つ鳥居から10分ほど先には、神田地蔵堂(こうだじぞうどう) があります。(写真17a)
その昔、建礼門院に仕えた悲恋伝説の横笛は、平家から出家して高野山にいた滝口入道を、ここ天野の里の地蔵堂で待ったようです。

地蔵堂の下には、慈尊院から矢立までの町石道前半コースの途中としては、唯一トイレがあります。(写真17b)
町石道沿いからは見えず、標識も分かりにくいので、予備知識がないと知らずに通り過ぎてしまいます。

17a 神田地蔵堂 17b 地蔵堂下のトイレ
( 17a 神田地蔵堂 ) ( 17b 地蔵堂下のトイレ )

神田地蔵堂から杉木立の中を、26本の町石を通り過ぎると、約50分で分岐がある笠木峠に着きます。(写真18a)
左手に進むと高野線上古沢駅に至りますが、この下りも急峻で、例会ルートには不向きです。
右手に曲がって、町石道前半コースの終点の矢立に向かいます。

約40分で、矢立の一つ手前の61町の町石を通過しました。(写真18b)
ここまで下ると、国道48号線を走る車の音が聞こえてきます。

18a 笠木峠の分岐 18b 矢立の手前の町石
( 18a 笠木峠の分岐 ) ( 18b 矢立の手前の町石 )

笠木峠から約50分かけて矢立に到着し、自動販売機で飲料水等を補充した後、矢立の交差点から林道の方へ下って行きます。(写真19a)

南海高野線の紀伊細川駅に至るまで、なだらかな下りの林道が続きます。(写真19b)

19a 矢立からの分岐道 19b 紀伊細川駅へ向かう
( 19a 矢立からの分岐道 ) ( 19b 紀伊細川駅へ向かう )

林道のあちらこちらの道脇で、アジサイの花が目につきました。(写真20a) (写真20b)

20a 道脇のアジサイ 20b 道脇のアジサイ
( 20a 道脇のアジサイ ) ( 20b 道脇のアジサイ )

矢立から40分ほど下り、紀の川に注ぐ丹生川の上流に掛かる『 出合橋 』 を渡ると、紀伊細川駅に向かって上り坂になります。(写真21a)

黒い案内板には、『 矢立 高野山町石道 2.5km 』 と表示されています。(写真21b)

21a 駅への上り 21b 紀伊細川駅への案内板
( 21a 駅への上り ) ( 21b 紀伊細川駅への案内板 )

紀伊細川駅に向かう途中の坂道脇には、五重塔などの石飾りが置かれていました。(写真22a)

紀伊細川駅は、山の中腹にあるという感じの駅で、着いたのは16時半頃です。 (写真22b)
九度山駅を出発してからここまで、約19km、6時間45分の山行でした。

22a 坂道脇の五重塔飾り 22b 紀伊細川駅
( 22a 坂道脇の五重塔飾り ) ( 22b 紀伊細川駅 )

町石道は、団体行動では1日で歩き通せないので、来年は紀伊細川駅を出発して、矢立から大門経由で終点の根本大塔まで完歩する予定です。


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