H26年9月の月例登山 篠の丸

登山日 2014年9月7日

9月の月例登山は、兵庫県宍粟市 ( しそうし ) 山崎町にある篠の丸 ( ささのまる ) に登りました。

篠の丸の山上には宍粟市の中心の山崎の街並みを見下ろせる篠ノ丸城跡があり、黒田官兵衛のかつての居城であったとして注目されるようになっています。

中国自動車道の山崎インターの手前の安富PAにも、黒田官兵衛と息子の松寿丸、妻の光の人形が飾られていました。(写真01a)

篠の丸のふもとには、もみじの名所の最上山(さいじょうさん)公園があります。(写真01b)
今回の山行ルートは、写真01bのマップで説明すると、山崎八幡神社 → 弁天池 → もみじ山 → 展望台 → 百畳敷 → 千畳敷 → 妙見宮鳥居 → 篠ノ丸本丸 → 篠ノ丸二の丸 → 山頂三角点 → 本丸 → 妙見宮鳥居 → 伊沢の里 の折り返しコースです。

篠ノ丸二の丸と山頂三角点はマップの北の範囲外、伊沢の里はマップの東の範囲外にあります。

今回は、男性9名、女性12名、合計21名が参加しました。

【 下のそれぞれの写真は クリックすると拡大表示されます 】

01a 黒田官兵衛の人形 01b もみじ山散策マップ
( 01a 黒田官兵衛の人形 ) ( 01b もみじ山散策マップ )

バスを降りて、8時25分に山崎八幡神社へ向けて出発しました。(写真02a)

山崎八幡神社の入口には隋身門があり(写真02b)、左右に神社を守る右大臣と左大臣の木造が配置されているようです。

02a 山崎八幡神社へ向かう 02b 山崎八幡神社隋身門
( 02a 山崎八幡神社へ向かう ) ( 02b 山崎八幡神社隋身門 )

山崎八幡神社の拝殿で、登山の安全を祈願して参拝します。(写真03a)

拝殿の右手には、推定樹齢600~700年のモッコクという神木があります。(写真03b)
県下最大のモッコクということで、兵庫県指定文化財(天然記念物)に指定されています。

03a 山崎八幡神社拝殿 03b 県指定文化財のモッコク
( 03a 山崎八幡神社拝殿 ) ( 03b 神木のモッコク )

山崎八幡神社から弁天池へ下りて、もみじ山へ向かいます。弁天池の周りにも、カエデが生い茂っていて、紅葉のシーズンには綺麗に色づくのではないかと思われます。(写真04a)

池の傍のケヤキの大木の廻りも、カエデで覆われていました。(写真04b)

04a 弁天池のほとりを進む 04b ケヤキ と カエデ
( 04a 弁天池のほとりを進む ) ( 04b ケヤキ と カエデ )

もみじ山は、もみじのトンネルのような景観で、中央に休憩用の東屋があります。(写真05a)

晩秋の紅葉をイメージしながら、もみじ山を東へ抜けて、展望台へ向かいます。(写真05b)

05a もみじ山の東屋 05b 展望台に向かう
( 05a もみじ山の東屋 ) ( 05b 展望台に向かう )

8時50分頃、展望台の北側入口に付きました。(写真06a)
展望台を南側から見上げると、最上段の展望台の下に、中段の展望台もあることが分かります。(写真06b)

展望台の中はらせん階段になっていて、入口に面してトイレが設備されています。

06a 展望台入口 06b 展望台上部
( 06a 展望台入口 ) ( 06b 展望台上部 )

展望台に上がると、左手に宍粟市の東南方面の街並みと遠くに城山辺りが見渡せます。(写真07a)

正面方向には、中国自動車道の南に、国見山辺りが見渡せます。(写真07b)

07a 展望台から南東の眺め 07b 展望台から南の眺め
( 07a 展望台から東南の眺め ) ( 07b 展望台から南の眺め )

展望台を下りて外に出ると、北側のすぐ横に史跡 『 尼ヶ端 ( 鼻 ) 』 の石碑が立っています。(写真08a)
石碑の側面と裏面には、『 天文の昔、出雲の尼子氏が中国を制圧し、播州をも攻略す。因って山前日邑にも砦を築き、此の山端に物見櫓を設け、宇野勢の動きを監視す。 ・・・云々 』 と刻まれています。(写真08b)
写真を拡大すると、全文が読めます。

天文の昔というのは戦国時代のことで、宇野氏というのは足利氏に仕えた播磨守護職の赤松氏から宍粟郡の守護代に任じられた代官です。

08a 史跡 尼ヶ端 08b 史跡の碑文
( 08a 史跡 尼ヶ端 ) ( 08b 史跡の碑文 )

展望台から篠ノ丸城跡に向かう途中には、『 文化のこみち 』 という散策路があります。(写真09a)
散策路の両側には、万葉風の七五調の歌碑が立っています。(写真09b)

09a 文化のこみち 09b 文化のこみちの歌碑
( 09a 文化のこみち ) ( 09b 文化のこみちの歌碑 )

歌碑の数は10個以上あり、五七五調や五七五七七調などで、作者の名とともに刻まれています。(写真10a) (写真10b)

10a 文化のこみちの歌碑 10b 文化のこみちの歌碑
( 10a 文化のこみちの歌碑 ) ( 10b 文化のこみちの歌碑 )

『 文化のこみち 』 には、歌碑だけでなく、所々に彫像も飾られています。(写真11a)~(写真12b)
歌碑が万葉風の純和風的なイメージなのとは対照的に、彫像の方はギリシア風の西洋的イメージで、その対比が面白く、両方の文化が楽しめる 『 文化のこみち 』です。

11a 文化のこみちの彫像 11b 文化のこみちの彫像
( 11a 文化のこみちの彫像 ) ( 11b 文化のこみちの彫像 )
12a 文化のこみちの彫像 12b 文化のこみちの彫像
( 12a 文化のこみちの彫像 ) ( 12b 文化のこみちの彫像 )

『 文化のこみち 』の先には、百畳敷という広場と、さらにその先に千畳敷という広場があります。
どちらの広場にも、アスレチックやブランコ、滑り台などの遊具が設置されていて、会員も休憩がてらにそれらの遊具を楽しんでいました。(写真13a) ( 写真13b)

13a 千畳敷きのブランコ 13b 千畳敷きの滑り台
( 13a 千畳敷きのブランコ ) ( 13b 千畳敷きの滑り台 )

千畳敷きから篠ノ丸城跡に向かって数分行くと小さな駐車場があり、そこまでは車で登って来れるようになっています。 そこが篠の丸への登山口になっていて、『 篠ノ丸城跡まで700m 』 の登山標識が立っています。(写真14a)

登山口から5~6分の所に、『 妙見宮 』 と掲げられた石の鳥居が立っています。(写真14b)
妙見宮は、篠ノ丸城本丸跡の奥にあるようですが、戦前の昭和の初期に作られたもので、戦国時代の歴史とはあまり関係なさそうです。

14a 登山道入口 14b 妙見宮鳥居
( 14a 登山道入口 ) ( 14b 妙見宮鳥居 )

登山道には、所々に 『 戦国の智将・黒田官兵衛ゆかりの地・宍粟 』 と表示された紫の幟が目に付きます。(写真15a)

そして、登山口から20分ほど登った所には、『 黒田官兵衛は、羽柴秀吉から揖東郡で1万石の領地を与えられ 「 山崎の城 」 ( 篠ノ丸城 ) に居住したと伝えられている。 』 と書かれた 『 官兵衛 飛躍の地 』 という説明板が立っています。(写真15b)

15a 登山道の官兵衛の幟 15b 官兵衛飛躍の地の説明板
( 15a 登山道の官兵衛の幟 ) ( 15b 官兵衛飛躍の地の説明板 )

『 官兵衛 飛躍の地 』 の説明板から5分ほど登った所には、東の揖保川流域や南東の宍粟市役所方面が見渡せる見晴らし台があります。(写真16a) (写真16b)

見晴らし台には、正面の山を撮影した大きな写真が掲示されていて、『 天正5年(1580) 4月 秀吉軍は聖山城を落とし 宇野攻めの本陣とする 』 と書かれています。
そして、正面の山の下に聖山城があった位置を明示しています。

16a 見晴らし台から東の眺め 16b 見晴らし台から南東の眺め
( 16a 見晴らし台 東の眺め ) ( 16b 見晴らし台 東南の眺め )

見晴らし台から篠ノ丸本丸跡入口までは、ほんの2~3分です。9時40分頃に、篠ノ丸本丸跡に着きました。(写真17a)
途中の休憩を含めて、登山口から約30分、山崎八幡神社の下を出発してからだと約1時間15分です。

篠ノ丸本丸跡は見晴らしはあまり良くありませんが、かなり広くて、トイレや休憩用のベンチなども用意されています。(写真17b)

17a 篠ノ丸城本丸入口 17b 篠ノ丸城本丸
( 17a 篠ノ丸城本丸入口 ) ( 17b 篠ノ丸城本丸 )

本丸の西に空堀があり、その向こうに二の丸があります。二の丸跡には展望小屋が建てられていて、その北側が 『 畝状竪堀 』 になっています。(写真18a)

畝状竪堀の上に立つと、宍粟市内を南北に流れる揖保川に西から合流する伊沢川の流域が見下ろせます。伊沢川の北には、長水山辺りが見渡せます。(写真18b)

長水山には、秀吉に攻められた宇野氏の居城の長水城跡があり、こちら篠ノ丸は石垣なしの城、向こうは石垣ありの城だったようです。

18a 篠ノ丸城二ノ丸 18b 二ノ丸から北の眺め
( 18a 篠ノ丸城二ノ丸 ) ( 18b 二ノ丸から北の眺め )

二の丸のさらに向こうの山頂三角点へ行くため、いったん急斜面をロープを使って下ります。(写真19a) (写真19b)

19a ロープで下る 19b 山頂の三角点へ向かう
( 19a ロープで下る ) ( 19b 山頂の三角点へ向かう )

下った後は、雑木に囲まれた落ち葉の小道を登って行きます。
三角点到着は9時55分、登山口から約45分、山崎八幡神社の下を出発してからだと約1時間半です。(写真20a)

三角点からも伊沢川流域や、長水山辺りが見渡せます。(写真20b)
三角点の傍には山座同定用の写真が掲げられていて、長水山の右手奥が標高1,024mの黒尾山、その右手奥が標高646mの宮山であることが分かります。

20a 山頂の三角点 20b 三角点から北の眺め
( 20a 山頂の三角点 ) ( 20b 三角点から北の眺め )

本丸広場に戻る途中では、キノコ形のチョコレートのお菓子に似た、黒い頭のキノコを見つけました。(写真21a)

本丸広場の近くまで来ると、手の平より大きいキノコもありました。(写真21b)

21a チョコ菓子の様なキノコ 21b 手のひら大のキノコ
( 21a チョコ菓子の様なキノコ ) ( 21b 手のひら大のキノコ )

本丸広場の木陰では、地元のボランティアガイドの竹内克司さんから、約40分に亘って宍粟市の城跡や戦国時代の歴史等、篠ノ丸城址や黒田官兵衛以外の時代背景についても色々と説明していただきました。(写真22a)

資料も事前に人数分ご用意されていて、配布資料以外にも、絵図や系図などを使って親切に説明していただきました。(写真22b)  どうも、ありがとうございました。

竹内さんが、宍粟・播磨の城郭について紹介しているホームページは
こちらをクリックすると見れます。 →  http://shiso-sns.jp/

22a 戦国期ゆかりの話を聞く 22b ガイドの竹内克司さん
( 22a 戦国期ゆかりの話を聞く ) ( 22b ガイドの竹内克司さん )

歴史の話を堪能した後は、お楽しみの昼食休憩です。
快晴の青空にもかかわらず、山上の木陰は比較的涼しいです。(写真23a)

別の木陰に移動して、昼食休憩をとるグループもあります。(写真23b)

23a 本丸の木陰で昼食 23b 本丸の木陰で昼食
( 23a 本丸の木陰で昼食 ) ( 23b 本丸の木陰で昼食 )

本丸広場でたっぷり昼食休憩をとった後、11時40分過ぎに下山を開始しました。(写真24a)

登ってきたツヅラ折りの登山道を、登山口に向かって下って行きます。(写真24b)

24a 下山開始 24b つづら折りを下山
( 24a 下山開始 ) ( 24b つづら折りを下山 )

登山口では、ガイドの竹内さんから、今回通らなかった妙見宮鳥居から 『 いこいの広場 』 を経由して弁天池に下るルートについても、説明していただきました。(写真25a)

竹内さんとは登山口で別れて、登ってきたルートとは別ルートの、東側の伊沢川流域にある 『 伊沢の里 』 に向かいます。(写真25b)

25a 最上公園の説明を聞く 25b 煙を上げるナナマツ窯
( 25a 最上公園の説明を聞く ) ( 25b 伊沢の里へ向かう )

下山途中では、白い山ホトトギスの花が、あちらこちらに ひそかに咲いていました。(写真26a)

ふもとまで下ると、伊沢川流域の稲穂の向こうに、長水山辺りが見えます。 (写真26b)

26a ホトトギスの花 26b 伊沢川流域の稲穂
( 26a ホトトギスの花 ) ( 26b 伊沢川流域の稲穂 )

伊沢川に向かって平地を歩いて南西の方へ振り向くと、遠くに篠の丸のもっこりした山が見えます。(写真27a)

山頂部分を拡大すると、見晴らし台と思われる部分が見えます。(写真27b)
上からも下からも見通しが良く、この地の要衝であることが分かります。

27a 篠の丸の遠望 27b 山頂付近の拡大
( 27a 篠の丸の遠望 ) ( 27b 山頂付近の拡大 )

伊沢川には、生谷橋(いぎだにばし)という橋が架かっています。
橋の上流側は、長水山のふもとを通り、黒尾山の辺りまでつながっています。(写真28a)

橋の下流側は、すぐ東を流れる揖保川に注いでいて、川の中には渓流釣りをしている人が見えます。 (写真28b)

28a 伊沢川の生谷橋上流 28b 伊沢川の生谷橋下流
( 28a 伊沢川の生谷橋上流 ) ( 28b 伊沢川の生谷橋下流 )

篠ノ丸本丸跡から約50分で、『 生谷温泉 伊沢の里 』 に着きました。(写真29a)

露天風呂などで疲れを癒した後は、篠の丸のふもとの酒造見学に向かいます。
もみじ山の展望台も、市内から良く見通せます。(写真29b)

29a 生谷温泉 伊沢の里 29b 市内から見上げた展望台
( 29a 生谷温泉 伊沢の里 ) ( 29b 市内から見た展望台 )

昨年の9月の月例登山は台風のために中止になりましたが、今回はさわやかな晴天に恵まれました。
地元のボランティアガイドの方にも親切に対応していただき、大変良い山行になりました。
自然と人とのつながりに、感謝します。


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