会報の表紙の言葉

 
 神戸ツキワ登山会の会報は戦前の昭和6年に創刊され、激動の時代を乗り越えて 創立85周年にあたる平成24年においては 通算第63号を数えるまでになりました。
 近年では毎年5月の総会の時に発行・配布されており、ページ数が毎号100ページ程度あります。
 こちらでは 長い歴史を積み重ねてきた神戸ツキワ登山会の 会報の表紙の写真と その写真にまつわる 『 表紙の言葉 』 を紹介します。

 【 『 表紙の言葉 』 は 会報の中から転載しています。 】


平成19年の会報の表紙

平成19年の会報の表紙<br />
( 裏表紙 )      ←|→      ( 表紙 )

 
 
【表紙の言葉】

 私は高取山の東方に住んでいるので子供の頃、高取山は三角形の山と思っていましたが、見る方向によってその姿は異なります。

 表紙の写真は三宮の神戸市役所24階から撮影したもの、即ち東から見た姿である。
 例会で奈良・和歌山・大阪方面の山に登って湾岸線や阪神高速道路を帰ってくると、灘あたりからしばらくフロントガラスの正面に三角形の勇姿を現す、この姿が見えるとホッと安堵する「ふるさとの山」である。高取山は古くは神撫山とも呼ばれ、六甲山系中、唯一の独立峰でコニーデ型で、別名「攝津富士」と呼ばれたのもむべなるかなと思われる美しい姿である。

 ところが、南から眺めると高取神社から荒熊神社への稜線がこんなに長かったかと思われるほど続いている台形の山でまさに背山という形である。長田区南部から須磨区東部の方が眺めておられるのがこの姿であり、四国・九州方面への山行で大阪湾をフェリーで往復する時、遥かにエールを送ってくれるのもこの姿である。

 西から眺めると再び三角形になるが、東から見た姿よりもいっそうピラミダルで登高欲をそそる。六甲全山縦走のとき妙法寺方面から見上げるのがこの姿である。もうひと登りすれば月見茶屋があり皆さんが迎えてくれると思えば元気が出てくる所でもある。

 北側のしあわせの村や鵯越方面から眺めた姿は南からと同様台形で、南の前衛峰として堂々と横たわっており、その左右には神戸市街・大阪湾・遥かに泉州の山々も望める。

 私の学んだ名倉小学校の当時の校歌には「ゆうべに仰ぐ鷹取の清く雄々しき心もて・・・」と歌われていたが、おそらく高取山周辺の沢山の学校の校歌・会社の社歌や愛唱歌には、シンボルや心の支えとして高取山が謡い込まれているのではないでしょうか。
 忌まわしい大震災で沢山の建物が崩壊した後、思いがけないようなところから山や空が見え心を癒されましたが、復興と共に建物が高層化し裏山を眺められる空間が少なくなったのは寂しい。今回も適当な距離から高取山の全姿を撮れる場所がなく苦労した。

 春夏秋冬高取山の形は変わらないが、平成9年「新・こうべ花の名所50選」に選ばれたことでもわかるように、春にはサクラやミツバツツジやフジがこんなにもあったのかと驚くほど各所に咲き競い、いっそう華やいだ姿を見せてくれる。
 

【 表紙と下の画像は、クリックすると拡大表示されます 】

 
高取山の三角点と山頂之碑
( 高取山の三角点と山頂之碑 )

 近頃、高取山の海抜高度を荒熊神社の上にあった三等三角点の標高319.9mを引用して320mとする書籍・書類をよく目にしますが、この三角点は昨年10月荒熊神社前に移設され再測量の結果312.8mとなった。高取神社奥之宮のある高取山頂上には標高328.8mとした高取山頂之碑がある。国土地理院2万5千分1地形図「神戸首部」もこの場所は328mと表示し、白山書房刊「日本山名総覧」や三省堂刊「日本山名辞典」も高取山328mとしている。
 私たちは矢張りホームグラウンド高取山の標高は328mか328.8mとして記憶したい。

神吉一誠 ( 写真・文 )

【表紙の写真の補足】

 上の裏表紙の小さな写真だと見えにくいので 表紙の写真のカラー版とともに 下に補足写真として掲載します。(それぞれ クリックすると 拡大表示されます)

ホームグランド高取山 神戸市役所24階から撮影
( ホームグランド高取山 神戸市役所24階から撮影 )

東方(神戸空港)から見た高取山 南方(五位ノ池町)付近から見た高取山
( 東方(神戸空港)から見た高取山 ) ( 南方(五位ノ池町)付近から見た高取山 )

西方(妙法寺小学校付近)から見た高取山 北方(しあわせの村方面)から見た高取山
( 西方(妙法寺小学校付近)から見た高取山 ) ( 北方(しあわせの村方面)から見た高取山 )

六甲全山縦走コースの高取山断面図
( 六甲全山縦走コースの高取山断面図 )


平成20年の会報の表紙 と 『 表紙の言葉 』 が 3ページにあります



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