10月例会 高野山

実施日 2017年10月1日

<コース概要>
矢立茶屋9:20 → 11:20大門 → 11:30弁天公園(昼食休憩)12:10 → 12:20壇上伽藍 → 12:45金剛峯寺→ 13:00苅萱堂 → 13:15奥之院口→ 13:45弘法大師御廟 → 14:30奥之院前駐車場

<コース紹介>
平成29年10月の例会は、昨年7月の和歌山県の高野山の町石道前半に引き続いて、今年は矢立からの町石道後半を歩き、大門から奥之院までの世界遺産を巡りました。(写真01a)

例会の前にテレビ番組のブラタモリで高野山が紹介されたこともあり、今回は会員外10名を含む女性25名、男性18名の計43名で、いつもより多くの方が参加しました。

参加者の体力に応じて、矢立から出発する32名のA班と、大門から出発する11名のB班に編成されています。
A班は矢立茶屋の前でバスを降りて、9時20分に大門に向かって出発しました。(写真01b)

B班は、A班が大門に到着するまでの間、A班が立ち寄らない徳川家霊台等の施設へバスで先行し、それから大門でA班と合流します。

【 下のそれぞれの写真は クリックすると2段階拡大表示されます 】

01a 高野山案内マップ 01b 矢立茶屋から出発
( 01a 高野山案内マップ ) ( 01b 矢立茶屋から出発 )

昨年は慈尊院起点の180番の町石から降順に番号を数えて登りましたが、今年は矢立の60番の町石から降順に数えます。

54番の町石の所には、『 押上石 』 というのがあります。(写真02a)
説明版よると、激しい雷雨の際に弘法大師が母親を隠まうために押し上げた石、との趣旨が書かれています。(写真02b)

02a 押上石 02b 押上石の説明板
( 02a 押上石 ) ( 02b 押上石の説明板 )

53番の町石は、新・旧2本が並んでいます。(写真03a)
奥の黒っぽい町石は50年以上前に新しく再建されたもので、手前の町石は平成10年に発見されて修復された古い町石です。
このように2本並んだ新・旧の町石は、他に44番があります。
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矢立と大門の中間辺りの27番の町石の所には、『 鏡石』 があります。
鏡石に向かって真言を唱えると、心願成就すると書かれています。(写真03b)

03a 2本並んだ町石 03b 鏡石の説明板
( 03a 2本並んだ町石 ) ( 03b 鏡石の説明板 )

矢立から約2時間で、大門の下の最後の急峻な坂を登ります。(写真04a)
山道から車道を横切ると、朱色の大きな門が眼前に現れます。(写真04b)

04a 大門に上がる 04b 大門
( 04a 大門に上がる ) ( 04b 大門 )

大門の前でA班とB班が集合写真を撮ってから、門をくぐって行くと、六町と表示された町石が立っています。。(写真05a)
1番の町石まで、残りあと5本です。
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壇上伽藍に向かう前に、昼食休憩のために4番の町石の近くの弁天公園に入ります。(写真05b)

05a 大門の六町の町石 05b 弁天公園に到着
( 05a 大門の六町の町石 ) ( 05b 弁天公園に到着 )

弁天公園内には43人がゆったり座れるだけのスペースがあり、トイレもあるので、高野山での団体行動の昼食休憩場所としては、絶好の公園です。(写真06a) (写真06b)

06a 弁天公園で昼食 06b 弁天公園で昼食
( 06a 弁天公園で昼食 ) ( 06b 弁天公園で昼食 )

約40分の昼食休憩の後、12時10分頃に弁天公園から壇上伽藍に向かいました。(写真07a)
壇上伽藍の手前には、白い柵の中に『 町石1番石 』 が立っています。(写真07b)
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テレビの『 ブラタモリ 』 の説明では、壇上伽藍が0番の位置づけということでした。
壇上伽藍から奥之院の弘法大師御廟に向かって、あらたに1番から36番の町石が並んでいます。
曼陀羅との対比では、壇上伽藍から慈尊院側を 『 胎蔵界(物質世界) 』、壇上伽藍から奥之院側を『 金剛界(精神世界) 』 という様です。

07a 弁天公園を出発 07b 慈尊院側の町石1番石
( 07a 弁天公園を出発 ) ( 07b 慈尊院側の町石1番石 )

『 町石1番石 』を過ぎて左に曲がると、壇上伽藍の入口の朱色の中門が現れます。(写真08a)
江戸時代の壇上伽藍の大火の後、ずっと礎石のまま放置されていた中門が2年前の高野山1200年記念で再建されたことにより、172年ぶりに壇上伽藍の全建物が揃ったとのことです。
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中門をくぐると、正面に金堂が現れます。(写真08b)
金堂は、今から85年前の再建です。

08a 壇上伽藍 中門 08b 壇上伽藍 金堂
( 08a 壇上伽藍 中門 ) ( 08b 壇上伽藍 金堂 )

金堂の西側には、お経を収める六角経蔵があります。(写真09a)

六角経蔵の基壇の取っ手を押して経蔵を廻せば、一切経(経典の全集)を一通り読んだときと同じ徳を得られるということで、会員が代わるがわる取っ手を押して経蔵を廻していました。(写真09b)

09a 壇上伽藍 六角経蔵 09b  六角経蔵を廻す
( 09a 壇上伽藍 六角経蔵 ) ( 09b 六角経蔵を廻す )

六角経蔵を廻した後は三鈷の松の周りに移動し、密教法具の三鈷杵の様に3本に枝分かれした松の葉を探します。(写真10a)

三又の松の葉は、財布に入れておくと幸福になれるとか、お金が貯まるとかでお守りとしても売られているので、みんな熱心に探して10数人の会員が見つけて拾っていました。(写真10b)

10a 三鈷の松 10b 三又の松葉を探す
( 10a 三鈷の松 ) ( 10b 三又の松葉を探す )

壇上伽藍で大きさ・色彩ともに目立つのは、朱色の根本大塔です。(写真11a)
主尊の胎蔵界の大日如来に、金剛界の四仏が配されているとのことです。

根本大塔の南側には白く目立つ 大塔の鐘 があり、日本で四番目に大きく、『 日本三大名鐘 』 の一つらしいです。(写真11b)

11a 根本大塔 11b 大塔の鐘
( 11a 根本大塔 ) ( 11b 大塔の鐘 )

根本大塔の東側の階段を下りると、愛染堂の前に金剛界の1番目となる『 一町の町石 』 が見つかります。(写真12a) (写真12b)

慈尊院からは180番から1番まで一つずつ番号が減りましたが、ここからは奥の院の36番まで一つずつ番号が増えていきます。

112a 愛染堂前の一町の石 12b  奥の院側の一町の石
( 12a 愛染堂前の一町の石 ) ( 12b 奥の院側の一町の石 )

愛染堂を通り過ぎて東へ進むと東塔(とうとう)があり、その先の蛇腹道に入ると左手に二町の町石が立っています。(写真13a) (写真13b)
二町の町石には、『 太上天皇 』 と刻まれています。

13a 壇上伽藍 東塔 13b  奥の院側の二町の石
( 13a 壇上伽藍 東塔 ) ( 13b 奥の院側の二町の石 )

蛇腹道の南側には、高野山の全国の宗教活動の中心と云われる大師教会本部があります。(写真14a)
本部の名称が刻まれた白い2本の柱のもう1本の方には『金剛講総本部』と表示されており、柱の奥には授戒体験ができる授戒堂があります。(写真14b)

14a 大師教会本部 14b 大師教会 受戒堂
( 14a 大師教会本部 ) ( 14b 大師教会 受戒堂 )

大師教会の境内には、弘法大師御誕生1,200年を記念して、弘法大師直筆の 『 いろは文字 』 が刻まれた石板が奉納されています。(写真15a)
その右隣にあるのは、生命尊重の保育のために日本仏教保育教会が建立した『いかせいのち』の碑です。(写真15b)

大師教会には、A班が矢立を出発して大門に到着する前に、先行してB班だけが訪れています。

15a 弘法大師 御直筆 15b 『いかせいのち』の碑
( 15a 弘法大師 御直筆 ) ( 115b 『いかせいのち』の碑 )

大師教会の北側の蛇腹道を東に抜けると、左手に総本山金剛峯寺の表門に通じる階段があります。(写真16a)
階段を上がり、A班もB班も一緒に本堂にお詣りです。(写真16b)

16a 金剛峯寺 表門 16b  金剛峯寺 本堂
( 16a 金剛峯寺 表門 ) ( 16b 金剛峯寺 本堂 )

B班が事前に単独で訪れているもう一つの世界遺産に、徳川家霊台があります。
金剛峯寺の北側のバス道を西に進むと浪切不動尊があり、その西隣の砂利道が徳川家霊台に通じています。(写真17a) (写真17b)

17a 浪切不動尊 17b 徳川家霊台 入口
( 17a 浪切不動尊 ) ( 17b 徳川家霊台 入口 )

左手が徳川秀忠の霊台、右手が徳川家康の霊台で、約370年前に3代将軍の徳川家光が建立したものです。(写真18a) (写真18b)

秀忠の方には鳥居がありませんが、家康の方は東照大権現として祀られているので、鳥居があります。

18a 徳川秀忠の霊台 18b 徳川家康の霊台
( 18a 徳川秀忠の霊台 ) ( 18b 徳川家康の霊台 )

金剛峯寺から奥之院に向かってバス道を進んで行くと、歩道の左手に町石を数えていくことができます。(写真19a)

成福院の隣の摩尼賓塔を通り過ぎ、苅萱堂に向かいます。(写真19b)

19a 奥之院側十町の町石 19b 摩尼賓塔
( 19a 奥之院側十町の町石 ) ( 19b 摩尼賓塔 )

13時頃に苅萱堂に到着しました。(写真20a)
苅萱堂の中は回廊風になっていて、苅萱道心と石堂丸の親子の数十枚の絵物語が一周ずらりと並んでいます。(写真20b)

妻と妾の憎しみ合いに嫌気して出家した苅萱道心を、親の顔も知らないまま高野山で探し求める石堂丸の秘話で、絵を見ながら物語を読んでいると、つい時間を忘れてしまいます。

20a 苅萱堂 20b 苅萱堂 絵物語
( 20a 苅萱堂 ) ( 20b 苅萱堂 絵物語 )

苅萱堂を出て赤松院前の分岐を左に進むと、奥之院の入口が見えてきます。(写真21a)
『 奥之院弘法大師 』 と表示された大きな石柱が立っている一の橋を渡り、無数の供養塔が並ぶ参道を弘法大師御廟に向かって進みます。(写真21b)

21a 奥之院 入口 21b 奥の院を進む
( 21a 奥之院 入口 ) ( 21b 奥の院を進む )

参道を歩き始めると、左手に弘法大師の御尊像があることに気づきます。(写真22a)
右手には、八代将軍吉宗公の墓標が目立ちます。 (写真22b)

22a 弘法大師 御尊像 22b 八代将軍吉宗公之墓
( 22a 弘法大師 御尊像 ) ( 22b 八代将軍吉宗公之墓 )

紀州初代藩主の徳川頼宣や石田三成の墓所の周りは苔むしていて、数百年の時の経過を感じます。(写真23a) (写真23b)

近くには、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、明智光秀などの戦国武将の供養塔もあります。

23a 紀州藩 徳川頼宣墓 23b 石田三成墓所
( 23a 紀州藩 徳川頼宣墓 ) ( 23b 石田三成墓所 )

奥之院参道の中間地点の 『 中の橋 』 を渡ると、左手に地蔵堂があります。(写真24a)
地蔵堂の上部には 『 汗かき地蔵 』 の掲示があり、人々の苦しみの身代わりになっているとのことです。(写真24b)

地蔵堂の右手には 『 姿見の井戸 』 があり、この井戸を覗いて自分の顔が映らなければ、三年以内に死んでしまうという言い伝えがあります。

24a 奥之院の地蔵堂 24b 姿見の井戸
( 24a 奥之院の地蔵堂 ) ( 24b 姿見の井戸 )

参加者が奥之院で是非見てみたいという墓所は、豊臣秀吉と織田信長の墓所でした。
どちらも、奥之院参道の一番奥の方にあります。

豊臣家の墓所は、左手の階段を上がった高台にあります。(写真25a)
高野攻めを取りやめた秀吉の墓所には、母や弟、夫人などの墓碑も並んでいます。 (写真25b)

25a 豊臣家墓所入口 25b  豊臣家墓所
( 25a 豊臣家墓所入口 ) ( 25b 豊臣家墓所 )

織田信長の墓所は、豊臣家の墓所の一つ奥にあります。(写真26a)
比叡山延暦寺を焼き討ちにした信長ですが、それでも高野山では墓所として受け入れられています。 (写真26b)

織田信長の墓所を過ぎると御廟橋がありますが、そこから先は写真撮影禁止になっています。
ブラタモリのテレビ放送でも弘法大師御廟部分の放映はありませんでしたので、こちらでも御廟部分の描写は控えることとします。

26a 織田信長公墓入口 26b 織田信長公墓
( 26a 織田信長公墓入口 ) ( 26b 織田信長公墓 )

弘法大師御廟からの帰路は、南側の参道を通りました。

信仰や宗派に寛大な高野山には、歴史上の人物の墓所だけでなく、現代人や企業の墓所もあります。
外見がユニークなのは、ヤクルトの墓所や福助の感謝の碑などです。(写真27a) (写真27b)

27a ヤクルト墓所 27b 福助 感謝の碑
( 27a ヤクルト墓所 ) ( 27b 福助 感謝の碑 )

新明和工業のロケットの形をした慰霊碑も目立ちます。(写真28a)

今回は 『 一の橋 』 側から奥之院に入り、南側の参道から奥之院を出ましたが、どちらかというと 『 中の橋 』 側のこちらの方が 『 奥之院入口 』 としての風情があります。(写真28b)

28a 新明和工業 慰霊碑 28b 奥之院 中の橋側入口
( 28a 新明和工業 慰霊碑 ) ( 28b 奥之院 中の橋側入口 )

昨年7月に九度山から高野山町石道の前半を歩き、今回は矢立から奥之院の弘法大師御廟までの後半を歩くという、2年掛かりの高野山踏破でした。
人気の企画に昨年も参加し、今年も参加した方にとっては、思い出に残る例会になったのではないでしょうか。
今回だけ参加した方にとっても、事前のブラタモリの番組で予備知識を持って世界遺産の施設を巡ることができ、有意義だったことと思います。


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